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北投石について

北投石について

北投石

北投石(ほくとうせき、英語: hokutolite) は北投温泉で発見された鉱物で、学術的には独立種とはいえず「含鉛重晶石」と呼ばれ重晶石の亜種として扱われる。世界でも台湾台北州七星郡北投街(台北市北投区) の北投温泉と日本秋田県の玉川温泉からしか産出しない。
明治38年(1905年) に地質学者岡本要八郎が瀧乃湯で入浴した帰りに付近の川で発見された。その後、この鉱物がラジウム等を含み放射性を持つ北投温泉独特の鉱物(後に玉川温泉で産出する物も同じ物であると認定された) であるとされた。大正2年(1913年) に東京帝大の鉱物学者神保小虎によって命名され昭和8年(1933年) に台湾総督府によって天然記念物に指定された。
台湾(中華民国) でも、2000年に北投石は「自然文化景觀」に指定されている。
北投石の組成は (Ba,Pb)SO4 で、およそBa:Pb=4:1 の割合で含まれる。放射性のラジウムを大量に含む温泉沈殿物重晶石である。

玉川温泉の北投石

「玉川温泉の北投石」は、大正11 年(1922年) に天然記念物に指定され、昭和27年(1952年) には特別天然記念物に指定されている。
現在は採取が禁止されているが、「健康によい」さらには「末期癌をも治す効果がある」などとしばしばマスメディア等で取り上げられることから盗掘は後を絶たず、2004年には摘発された事例もある。

玉川温泉

地元のマタギにより1680年(延宝8年) に発見された。発見時に鹿が傷を癒していたことから、古くは「鹿の湯」、「鹿湯」と呼ばれた。
1885年に、鹿湯という名称で湯治場として開かれるまでは、当地にあった硫黄採掘所の工夫とマタギが温泉を利用していた。
温泉地としての本格的に開かれることになったのは、五代目・関直右衛門が開発に乗り出してからである。1929年に当地で湯治を行い、その効能の高さを知った関は、1932年に近隣の湯瀬温泉に湯瀬ホテルを建設すると共に玉川温泉の権利を取得した。
1934年、それまでの鹿湯という名称から玉川温泉に改められた。命名は朝日新聞記者・杉村楚人冠による。
戦前は、馬が主要な交通手段で、交通の便が非常に悪かった。第二次世界大戦後の1950年、国道およびバス路線が開通。その後開発が進むようになった。

玉川温泉が癌との関係を特に注目されるようになったのは、鹿角市にて鹿角タイムズ社を経営していた阿部真平が1974年に出版した「世界の奇跡玉川温泉」以降である。ただし読む際には医学的な根拠がある本ではない事に注意が必要であり、前述の効能記述にもあるようにあくまでも癌は当温泉地の禁忌症である。そのため癌での当温泉における湯治はあくまで自己責任で行われる。
それでも一部の人に効果があったとのメディアでの紹介が多く、湯治希望者は絶えない。なお、癌との関係については微量の放射能などによるホルミシス効果と関係があるとの説がある。

ホルミシス効果

ホルミシスとは、ある物質が高濃度あるいは大量に用いられた場合には有害であるのに、低濃度あるいは微量に用いられれば逆に有益な作用をもたらす現象を示す言葉です。ここでいうホルミシスとは、放射線ホルミシスのことです。低線量の放射線を使用することにより人間に有益な作用を起こすもので、低線量放射線(または低放射線) ホルミシスともいいます。
放射線は大量に浴びると放射線障害を起こすなど体に害があり、ひどい場合は死に至ります。ただ、この地上には自然放射線が満ちあふれており、私たちはいつも微量の放射線を浴びています。そしてどうやら、自然放射線の10倍から100倍くらいの放射線を浴びると体や健康にさまざまなよいことが起こるということがわかってきています。
体によいことが起こるのは、低線量放射線に活性酸素を抑制する効果があるためです。
活性酸素は、生命を維持するためになくてはならないものですが、同時に様々な病気を引き起こし、老化を促進する原因ともなります。
低線量の放射線には、ビタミンC やビタミンE の摂取による抗酸化作用とはケタ違いの働きがあります。放射線は細胞の大部分を占める水分を電離させて一時的に大量の活性酸素を発生させ、体内の抗酸化の仕組みのスイッチを入れて活性酸素を打ち消してしまうのです。

※ ホルミシス(Hormesis) の語源は「まるでホルモンのような働きをする」という特長をふまえ、ギリシャ語のhormaein=活性させる・興奮させる、から来ています。ホルモン(hormone) は同語源で、特定の器官から内分泌され、微量で働く生理活性物質のことです。

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